0. ミント 2017/11/26 (日) 02:28:06.412 編 削
喋れないのが面白いから学校でいじめられてワケもわからずおかあさんに手引かれてワケもわからず精神科に行ってワケもわからないうちに何年も主治医に喋れないのを笑われてハイハイって薬出されてテキトーやられて、自分がおかしいから悪いんだって悩み続けて大好きなおかあさんとだけ喋れるからおかあさん大好きで嬉しい!って言ってるうちに思春期は丸つぶれになって終わってたけど、"母"も、"場面緘黙"も、"精神医療の未発達"も、ここ数年でやっと分かった。テレビとかネットとかで。ただ、緘黙はともかくとしても、発達障害の診断が長いこと下らなかったのは、喋って伝えられなかったからじゃないかな。だから"発達障害"が分からずに自分がおかしいのが悪いって責め続けたし。喋れないのは根深い。喋れないのは、社会で、本当に根深い苦しみに直面し続ける。あらゆる制度の、現場の、門前払いの人生。例えば発達障害の認知が10年20年かかって進んだとして、場面緘黙もここから10年20年で進んだとして、10年20年じゃ遅いんです。産まれた子供が大人になる時間なんです。というようなことを、母を殺そうとした時に、第三者に言う機会があった。溢れ出る意思と溢れ出る言葉という体験をあの時初めてしたように思う。あの時はまだ、母と私と大勢の第三者たちという視界だったから、あえて今、そう書いた。社会は上手く回っていない。上手く回ってなんかいない。親だ医療だ教育だなんだって言いながら、結局人の気持ちだけでやり合ってるじゃないか。改行をしたくないです
1. こたん ◆XxxXxXXxX.
わー
2017/11/26 (日) 02:28:24.258
2. ミント
アウル診療所のドキュメンタリー見て考えたんだけど、 中1の私にとっての初めての心療内科がアウルだったらなって
たらればは通用しないから、意味ないんだけどね
教育現場に勤めることを考えたりもしたけど私はあらゆる現実的な就職に必要な要素を一切合切持ち合わせてないし
ただ、何もかも手遅れだけど、こういう体験をしなかったら教育に興味も持てなかったのは皮肉だよね
あと、教育現場に身を置くというのは人の死を見届けるということだから
児童死んだりしたら私も死んじゃうからね。耐えきれないと思うよ
2017/11/26 (日) 02:41:30.950
0. ミント 2017/11/26 (日) 00:14:05.204 編 削
私はねえ
場面緘黙が治ってほしいよ
治らないならせめて、場面が場面じゃなくなってほしいよ
悩み苦しむのにもう飽きてしまった。自分が飽きても緘黙氏はまだ飽きてない
でも惰性でしょ?惰性で居座るな。頼むよ